易のいろは
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フランスで再び大規模デモ――「天地否」から考える、声が届かないとき

天地否——静まることと、通じ合うことの違い

今回の出来事

朝日新聞は2026年10月24日、生活苦や公共サービスへの不満を背景に、フランス各地で大規模なデモが行われたと報じた。前週の一部での暴動や略奪を受け、当局は警備を強化。行進ルートの変更や集会制限に対し、市民や政治家から批判も出ている。

この出来事から考える卦

第12卦

天地否

てんちひ

この卦を選んだ理由

生活上の訴えと当局の対応が交錯するニュースを、声が届かない閉塞という視点で考えます。天地が交わらない天地否の象意を借り、静けさと相互理解を区別します。特定の立場の善悪や社会の未来を卦で断定しません。

易の視点から考えること

本コラムでは天地否を、言葉が発せられても受け止められない状態を考える視点として読みます。平和的な抗議と暴力行為を区別し、安全の確保とともに、訴えを聞いて応答する道を残す大切さを考察します。

ここからは、出来事と卦の象意を重ねた「易のいろは」の解釈です。未来の結果を予測するものではありません。

神龍易子と読み解く

易の案内役 神龍易子

街に大勢の人が集まり、不満を訴える。その一方で、店が被害を恐れて戸を閉ざす。フランスのデモを伝える記事には、暮らしへの切実な声と、安全への不安が並んでいたわ。わたしが思い浮かべたのは、声があっても通じ合わない状態を考える「否」という卦なの。

天地否——同じ場所にいても、通じない

天地否。第12卦、てんちひと読むのよ。上が乾(天)、下が坤(地)。天が上、地が下という整った姿に見えるけれど、易では天の気は上へ、地の気は下へ向かい、交わらない姿として読むの。そこから、交流が滞る閉塞を表す卦とされているわ。

ここで考えたいのは、言葉が発せられていることと、届いていることの違いよ。説明する側は十分に伝えたつもりでも、受け取る側には、自分の困りごとに答えてもらえないと感じられることがある。同じ出来事を見ながら、別々の話を続けてしまうのね。

訴える声と、被害を分けて受け止める

朝日新聞の記事は、10月24日にフランス各地で行われたデモについて、生活苦や公共サービスへの不満を背景として伝えているわ。同時に、前週の暴動や略奪の爪痕、店を守ろうとする人々の様子、当局による警備の強化や集会制限への批判も記されているの。

このニュースを、一つの怒りや一つの立場だけで説明するのは難しいわね。平和的に声を上げることと、人を傷つけたり店を壊したりすることは分けて考えたい。被害を防ぐ必要があるからといって、生活上の訴えまで消えてよいわけでもないのよ。

欧州評議会の人権弁務官も23日の声明で、平和的な集会の保護と、人権に沿った警察活動を求めているわ。一部の暴力行為を理由に集会全体を一律に扱わず、平和的な参加者と区別する必要があるという指摘なの。

静けさだけでは、解けない閉塞

天地否をこの出来事に重ねるのは、フランスの未来を占ったり、特定の人物を悪者と決めたりするためではないわ。表面の動きが収まったとき、声の通り道まで閉じていないか。そんな問いを持つためなのよ。

街の安全を確保することは大切ね。そのうえで、何に困り、何を変えてほしいという訴えなのかを受け止め、対応できることとできないことを説明する道も必要だと、わたしは考えるの。静かになったことだけを、納得が生まれた証拠にはできないわ。

国家と市民の関係を、そのまま家庭や職場に置き換えることはできないけれど、声が届いているかという問いは身近にもあるのよ。会議で誰も異論を言わなくなったとき、全員が賛成したのか、それとも言っても変わらないと諦めたのか。沈黙だけでは分からないわね。

聞く側なら、困っている場面を具体的に尋ね、聞いた内容にどう応じるかを返す。伝える側なら、安全に話せる相手や窓口を選ぶ。話し合いだけですべてが解決するとは限らないけれど、声を受け取る仕組みを確かめることはできるの。閉塞を、訴える人の我慢だけに任せたくはないわ。

易子先生のひとこと

わたしね、通じ合うというのは、すべての意見が同じになることではないと思うの。違いが残っていても、何に困っているのかが伝わり、それに応じた返事がある。そこから始まることもあるのよね。

声が小さくなったかではなく、声が届くようになったか。天地否から考えたいのは、その違いなの。目に見える静けさの奥にも、まだ言葉になっていない困りごとがないか、気にかけていたいわ。

神龍易子は「易のいろは」のオリジナル案内役です。

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