街に大勢の人が集まり、不満を訴える。その一方で、店が被害を恐れて戸を閉ざす。フランスのデモを伝える記事には、暮らしへの切実な声と、安全への不安が並んでいたわ。わたしが思い浮かべたのは、声があっても通じ合わない状態を考える「否」という卦なの。
天地否——同じ場所にいても、通じない
天地否。第12卦、てんちひと読むのよ。上が乾(天)、下が坤(地)。天が上、地が下という整った姿に見えるけれど、易では天の気は上へ、地の気は下へ向かい、交わらない姿として読むの。そこから、交流が滞る閉塞を表す卦とされているわ。
ここで考えたいのは、言葉が発せられていることと、届いていることの違いよ。説明する側は十分に伝えたつもりでも、受け取る側には、自分の困りごとに答えてもらえないと感じられることがある。同じ出来事を見ながら、別々の話を続けてしまうのね。
訴える声と、被害を分けて受け止める
朝日新聞の記事は、10月24日にフランス各地で行われたデモについて、生活苦や公共サービスへの不満を背景として伝えているわ。同時に、前週の暴動や略奪の爪痕、店を守ろうとする人々の様子、当局による警備の強化や集会制限への批判も記されているの。
このニュースを、一つの怒りや一つの立場だけで説明するのは難しいわね。平和的に声を上げることと、人を傷つけたり店を壊したりすることは分けて考えたい。被害を防ぐ必要があるからといって、生活上の訴えまで消えてよいわけでもないのよ。
欧州評議会の人権弁務官も23日の声明で、平和的な集会の保護と、人権に沿った警察活動を求めているわ。一部の暴力行為を理由に集会全体を一律に扱わず、平和的な参加者と区別する必要があるという指摘なの。
静けさだけでは、解けない閉塞
天地否をこの出来事に重ねるのは、フランスの未来を占ったり、特定の人物を悪者と決めたりするためではないわ。表面の動きが収まったとき、声の通り道まで閉じていないか。そんな問いを持つためなのよ。
街の安全を確保することは大切ね。そのうえで、何に困り、何を変えてほしいという訴えなのかを受け止め、対応できることとできないことを説明する道も必要だと、わたしは考えるの。静かになったことだけを、納得が生まれた証拠にはできないわ。
国家と市民の関係を、そのまま家庭や職場に置き換えることはできないけれど、声が届いているかという問いは身近にもあるのよ。会議で誰も異論を言わなくなったとき、全員が賛成したのか、それとも言っても変わらないと諦めたのか。沈黙だけでは分からないわね。
聞く側なら、困っている場面を具体的に尋ね、聞いた内容にどう応じるかを返す。伝える側なら、安全に話せる相手や窓口を選ぶ。話し合いだけですべてが解決するとは限らないけれど、声を受け取る仕組みを確かめることはできるの。閉塞を、訴える人の我慢だけに任せたくはないわ。
易子先生のひとこと
わたしね、通じ合うというのは、すべての意見が同じになることではないと思うの。違いが残っていても、何に困っているのかが伝わり、それに応じた返事がある。そこから始まることもあるのよね。
声が小さくなったかではなく、声が届くようになったか。天地否から考えたいのは、その違いなの。目に見える静けさの奥にも、まだ言葉になっていない困りごとがないか、気にかけていたいわ。
神龍易子と読み解く
易の案内役 神龍易子
街に大勢の人が集まり、不満を訴える。その一方で、店が被害を恐れて戸を閉ざす。フランスのデモを伝える記事には、暮らしへの切実な声と、安全への不安が並んでいたわ。わたしが思い浮かべたのは、声があっても通じ合わない状態を考える「否」という卦なの。
天地否——同じ場所にいても、通じない
天地否。第12卦、てんちひと読むのよ。上が乾(天)、下が坤(地)。天が上、地が下という整った姿に見えるけれど、易では天の気は上へ、地の気は下へ向かい、交わらない姿として読むの。そこから、交流が滞る閉塞を表す卦とされているわ。
ここで考えたいのは、言葉が発せられていることと、届いていることの違いよ。説明する側は十分に伝えたつもりでも、受け取る側には、自分の困りごとに答えてもらえないと感じられることがある。同じ出来事を見ながら、別々の話を続けてしまうのね。
訴える声と、被害を分けて受け止める
朝日新聞の記事は、10月24日にフランス各地で行われたデモについて、生活苦や公共サービスへの不満を背景として伝えているわ。同時に、前週の暴動や略奪の爪痕、店を守ろうとする人々の様子、当局による警備の強化や集会制限への批判も記されているの。
このニュースを、一つの怒りや一つの立場だけで説明するのは難しいわね。平和的に声を上げることと、人を傷つけたり店を壊したりすることは分けて考えたい。被害を防ぐ必要があるからといって、生活上の訴えまで消えてよいわけでもないのよ。
欧州評議会の人権弁務官も23日の声明で、平和的な集会の保護と、人権に沿った警察活動を求めているわ。一部の暴力行為を理由に集会全体を一律に扱わず、平和的な参加者と区別する必要があるという指摘なの。
静けさだけでは、解けない閉塞
天地否をこの出来事に重ねるのは、フランスの未来を占ったり、特定の人物を悪者と決めたりするためではないわ。表面の動きが収まったとき、声の通り道まで閉じていないか。そんな問いを持つためなのよ。
街の安全を確保することは大切ね。そのうえで、何に困り、何を変えてほしいという訴えなのかを受け止め、対応できることとできないことを説明する道も必要だと、わたしは考えるの。静かになったことだけを、納得が生まれた証拠にはできないわ。
国家と市民の関係を、そのまま家庭や職場に置き換えることはできないけれど、声が届いているかという問いは身近にもあるのよ。会議で誰も異論を言わなくなったとき、全員が賛成したのか、それとも言っても変わらないと諦めたのか。沈黙だけでは分からないわね。
聞く側なら、困っている場面を具体的に尋ね、聞いた内容にどう応じるかを返す。伝える側なら、安全に話せる相手や窓口を選ぶ。話し合いだけですべてが解決するとは限らないけれど、声を受け取る仕組みを確かめることはできるの。閉塞を、訴える人の我慢だけに任せたくはないわ。
わたしね、通じ合うというのは、すべての意見が同じになることではないと思うの。違いが残っていても、何に困っているのかが伝わり、それに応じた返事がある。そこから始まることもあるのよね。
声が小さくなったかではなく、声が届くようになったか。天地否から考えたいのは、その違いなの。目に見える静けさの奥にも、まだ言葉になっていない困りごとがないか、気にかけていたいわ。
神龍易子は「易のいろは」のオリジナル案内役です。